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旧友の虫干し

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先週、1969年製のTS式65ミリ屈折赤道儀の日光浴をしました。今週はこのブログにも何度か登場している、私との付き合いが最も長い、TS式80ミリ屈折赤道儀を日光浴させました。

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1977年製、私が高校入学の年の5月、亡き親父と一緒に板橋の高橋製作所に行って注文した望遠鏡です。当時は都営地下鉄6号線と言っていた都営三田線の板橋本町から地図を頼りに向かった高橋製作所本社は、木造のずいぶん小さな町工場でした。

木の階段を2階に上がると、当時の主力製品の何台かが事務所の一角に並べられてあった以外は、本当に町工場の事務所という感じでした。その時応対にあたってくれたのが、今は無きアトムの社長になった平井さんであった事は、ずいぶん後になって知った事でした。

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以来38年、HD-2モーターのコントローラーの故障が1回あっただけで、今も全く問題なく使える状態です。

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長年設置していたコンクリート製の望遠鏡設置スペースにピラーを置き、だいたいの目安で赤道儀を北に向けて設置しました。慣れと言うのは凄いですね!30分ほど自動で太陽を追尾しましたが、殆ど赤緯方向のズレはありませんでした。

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5月に注文して製造番号は43、まあ販売台数なんてこんなものだったのでしょうね。

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レンズは何度か結露や凍結をさせてしまった事がありますが、クモリやカビは全くなし!これは自慢できます。

とりあえず太陽に向けて日光浴です。アイピースを自宅から持って行くのを忘れてしまい、実家に置いてあった五藤光学製H-30ミリで手に投影(笑)。15センチの太陽投影板もあるのですが、まあ日光浴が主たる目的でしたので取り付けませんでした。

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当時、木製の直脚と軽合金製ピラーいずれかの脚が選べましたが、私の選んだピラーは振動の収まりが悪く、いずれ鉄製パイプに換装しようと思いつつ38年が経過してしまいました(笑)。

モーターボックスの中のギヤの音が少し大きくなりましたが、逆に作動が確認できて安心です。あと2年で40年、半世紀くらいは問題なく動いてくれそうです。

深層地震!

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今日の20:24頃の地震、私の住む長野県上田市での震度は3でした。しかし、非常にゆっくりとした横揺れで、P波を殆ど感じないという、今まであまり経験したことのない揺れ方でした。

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震源が非常に遠方の巨大地震か?と思ったところが、なんと震源の深さが590km!一瞬、アナウンサーの読み間違い?と思いました。しかもマグニチュード8.5、巨大地震の規模です。しかし、非常に深い場所での地震という事で、なるほどと腑に落ちた気もしました。全国的に揺れ、さらに震央から離れた場所で最大震度が出たことなど、震源の深さを納得させる内容だったですね。

深さが約600kmと言うと、地球内部の様子はどうなってるのかな?と疑問を感じ、本来なら高校の地学の教科書か百科事典をひっくり返したいところですが、どちらも我が家には無し。結局ネットで調べることに。

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(ウェブ上から拝借しております)

まあ人類の誰も600km地下まで行ったわけではないので、「たぶんこんな風になっているのだろう」と、過去の研究結果から導き出されたもの、という事ですけどね。

なるほど、上部マントルと下部マントルの境界付近で起きたことがわかりますが、マントルはゆっくりと対流しているとされていますから、いちいち引っかかっていたら毎日巨大地震が起きちゃうはず。しかもこの深さでのM8.5という地震規模は、歴史に残る中では最大級とみられるという話。

さて、これはいったい何を意味するのか?

もちろんわかりません!(笑)
だって、私は地震学者じゃないですから。聞くところによると、日本の地震学者の数は、極めて少ないのだとか。このプレートテクトニクスの巣窟である日本列島にありながら、そんなことでいいんでしょうか?

いいわきゃないですよね。世界の常識として、正確な地震予知は不可能と言われて久しいのですが、相変わらず日本の研究の中心は予知に偏っている気がします。そうではなく、防災・減災の観点からの地震対策を、もっともっと論じるべきではないでしょうか?

昨日の口永良部島の噴火、気象庁は予知出来ずでしたね。比較的観測体制が敷かれているはずの活火山でさえ、全ては網羅できていない。300年ほど前、わずか数十年の間に天明の浅間山大噴火、宝暦の富士山大噴火と続いています。地球上の時間の流れから言ったら、300年なんてほんの一瞬前の出来事です。しかもこの時は元禄大地震(関東直下型)、宝暦大地震(東海~東南海地震)と立て続けに大地震が起きた後に、山体の形状が変わるほどの大噴火を起こしているのです。

東日本大震災以降、間違いなく日本列島にかかるプレートテクトニクスの力学的バランスが崩れている事は、専門家でなくても、誰の目にも明らかではないですか?

宝暦クラスの富士山噴火が起きた場合、風向きによっては、都心にも30センチの火山灰が降り注ぐと言われています。間違いなく首都の機能は完全にマヒします。電気の供給は完全にストップしてしまうでしょう。水もガスも、あらゆる生活インフラが使用不能になります。浅間山の噴火にしても、西風が吹くことが多く、関東平野に降灰する可能性が高いのです。天明の大噴火では、1か月近くの間、利根川に死体が流れ続けたそうですが、もし今、同じ規模で噴火が起きたら、特に富士山の場合はその比ではない犠牲者が出る可能性だってあるのですよね。

政治がなすべきことは国民の生命と財産を守る事であるということを、今の政治家がちゃんと理解していたなら、可及的速やかに行うべきは安全保障政策よりもこちらが先決だと私は思うのですが。

あきれて物も言えない

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こんな事、ここに書くべきじゃない事は百も承知。だけど書かずにはいられません。

日本国憲法を守れない人に投票して国会議員にしちゃった方はどなたですか?
あとから「いや、投票した時はこんな風になるとは思わなかった」じゃ済みませんよ。政府は憲法を守らなくてはいけません。権力者の暴走を縛るのが憲法、国の最高法規です。現行憲法が今の時代に合っているかどうかは別次元の話です。

直接交戦国ではなくても、同盟国が攻撃を受けたら、我が国が相手国に先制攻撃する可能性も排除しないなんて、どう読んだって現行憲法では認められてないでしょう?どうしてもそれをしたいなら、まず憲法を改正して下さい。それが正式な順序でしょう?

それとも、今や我が国は法治国家ではなくなったという事なのか?

ようやくでした・・・

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昨年、諏訪に赴任してから入手していたタカハシμ210ですが、なかなか持ち出すタイミングがありませんでした。

実は今日がファースト・ライト、こりゃかなり恥ずかしい話ですが。

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日中、ずいぶんからっとした天気で、気温は上がりましたが過ごしやすい天候でした。しかし日が落ちるのと同時に気温はぐっと下がり、20時頃には薄手の上着を羽織らないとちょっと寒いくらいの気温になりました。

おもむろに三脚を組み立て、SP-DX赤道儀を引っ張り出します。天文ハウスTOMITA製のアリミゾを取り付け、極軸をおおよそ合わせます。バランス・ウェイトの大きな方を2個取り付け、いよいよ鏡筒を載せます。これが案外大変でした。10キロ近い重量ですから、SP-DXの搭載可能限度ギリギリです。果たしてちゃんと使えるのかどうか・・・。

とりあえず、西に傾いた木星に筒を向けます。アイピースはLE18ミリ、さすがに高度がぐっと下がっていた事もあり、川の中を覗いているような、流れの早い気流の中でした。それにしても明るい!やはり160ミリとは比べ物になりません。

シーイングが悪すぎるので、今度は土星を見てみることにしました。シーイングは似たようなものですが、時折安定する瞬間があります。接眼部にラックピニオンのピント調整システムが付いているため、まず主鏡を移動させる通常のピントリングで粗粗にピントを合わせ、ラックピニオンでピントを合わせます。

まず、その像の明るさにビックリ。土星でもこんなに明るく見えるんですね。シーイングが安定した瞬間には、黒々としたカッシーニの空隙が環をぐるっと一周しているのがハッキリと見え、本体の極部が暗く縞も見えます。アイピースを12.5ミリに交換してみましたが、いやー、大きく見えますね!さすがに焦点距離の長さが効いています。比較的焦点距離の長いアイピースで十分な倍率が得られるので、見易い事この上ありません。K-ASTEC製両軸モーターAGA-1の作動も実に快調、久々の観望は楽しいものでした。

しかし、やはり架台の強度は不足気味です。ピント合わせの際、動的ピント合わせがし難いです。全体がタワむ感じがありますね。このサイズの筒には、やはりEM200クラスの架台が理想的でしょう。

今日はチラ見程度でしたが、コントラストも悪くなく、なかなか良く見える筒だと思いました。近い将来、自宅観測所に移してじっくり使いたくなりました。

今夜の独り飯

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明日、諏訪で支社の送別コンペがあるため、昨夜上田に戻り午後諏訪に帰って来ました。

夕飯、どうすっかなあとキッチンの棚を物色すると、賞味期限が近付いたパスタを発見、こりゃ今晩食うしかないなというわけで。

柚子風味の醤油味の和風ソースもあったので、これと一緒に。
長野市にあるスパゲティ店に『納豆スパ』というメニューがあるのですが、私が高校生の頃からありますから、かれこれ40年近くの歴史があるものです。そんな事もあり、和風ソースの時、私はけっこう納豆をスパゲティに載せて食べます。

今日もしっかりと納豆を混ぜ、パスタに載せて頂きました。載せた画は、イマイチ見た感じがよろしくないので(笑)、載せる前の写真ですが。どちらにもオリーブオイルをちょっと垂らしてあります。

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パスタに納豆?なんて思われるかも知れませんが、これ冗談抜きで美味しいです。お試しください。ついでに酒の肴にもなりますし(笑)。

ちょびっと古スコの話

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ここ数年、原村星まつりの会場でも、いわゆる『古スコ』(古い天体望遠鏡)を持ち込んで楽しんでおられる方が増えました。ちょっと前でしたか、ニコン8センチ屈赤と高橋製作所8センチ屈赤を並べていた人もいましたっけ。

子供の頃欲しかったものが、いざお金がそこそこ使えるようになった時、既にそのものは販売されておらず、入手するには中古を探すしかないという状況は、別に天体望遠鏡に限った話ではありませんが、その昔はやはりカメラでしたね。銀塩の時代は、中古カメラには中古カメラの『味』がありましたからね。

さて先日、ブロ友のイッシーさんが記事に書かれた、謎のメーカー3TK望遠鏡の広告を発掘しましたのでご報告します。

広告が載っていたのは、1969年11月号でした。

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問題の3TKは、三東光学センターというのが社名で、所在地は台東区入谷です(シブい・笑)。

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一方、お馴染みのスリービーチは、当時はスリービーチ光学製作所という社名で、当時の所在地は荒川区東日暮里(これまたシブい・爆)。その後、スリービーチサービスセンターと社名表示が変わり、所在地が足立区平野に移ります。その頃、私が最初の望遠鏡で、見事にスカをつかまされたのでした(笑)

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60年代から70年代初めの天文雑誌、広告が面白いですね。また読み直してみて、面白いネタを見つけたらアップします。

やはり70年代だ!

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古スコネタで続けます。

天文ガイド1976年5月号
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世紀の大彗星となったウエスト彗星の特集は6月号でした。早く編集部に到着したウエスト彗星の写真が表紙を飾ります。

私が天文の世界にどっぷりとはまり込んだのは、まさにこのウエスト彗星を見たからです。あまりにも美しく不思議な姿、撮影した写真が6月号で採用になり、初めて雑誌掲載された事も拍車をかけた一因です。

さて、76年当時の広告を見てみましょう。

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五藤光学がMARK-Xのシステムを展開し始めたのが、まさにこの時期でした。まだコメットトラッカー付き2軸MDは発売されていませんね。比較観望会を開始し始めた時期で、高橋製作所とカートン光学のセミアポ8センチ、ニコン8センチと自社製アポクロマート8センチを五藤の社内敷地に並べ、一般ユーザーに比較してもらうというイベントでした。それらの意見が『賛辞集』というパンフにまとめられ、いかに自社製品が優秀かをPRしていました。ペプシがコカ・コーラを比較広告に引っ張り出すずいぶん前の話です。その手法には、正直違和感を感じました。半数以上の望遠鏡ユーザーを敵に回す危険があり、決して自社製品にもプラスにはならないだろうと、中学生ながら思ったものでした。

MARK-Xは画期的なシステム赤道儀でしたが、それに比較して鏡筒、特に接眼部などは60年代の理科振興法準拠の望遠鏡と何ら変わらない状況で、眼視から写真撮影が中心に変わっていく時代に乗り遅れた気がしました。

さて、当時のメーカーではどうしても避けて通れないのがダウエルとスリービーチ、パノップの『御三家』です。屈折鏡筒の内面はアルミの地色そのままに輝き(笑)、反射鏡筒はピント位置がどこにあるのかわからない。赤道儀はバランスウェイトが全く足りず、バランスが取れるまで追加すると、今度は架台が持たずに極軸がお辞儀してしまうという、とにかくツッコミどころ満載のメーカーでした。あまりの酷さに、星への想いも挫折してしまい、天文趣味をやめてしまった人も多かったのでは?と思います。

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ダウエルのコピーは秀逸です。『創業50有余年の業歴と経験豊富の信用ある本邦最古の専門メーカー』ですよ。日本光学よりも古いの?

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双眼鏡のコピーもふるってます。『50余年の技術が生んだ視野広く明快なダウエルの信頼できるプリズム双眼鏡です。各大学山岳部よりも注文あり好評を得ております』
…もう笑うしかありません。今の時代なら、こんな広告は雑誌社が考査で載せられないに決まっています。まあ、当時は何でもありだったって事ですね。

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スリービーチはこのちょっと前まで、『学生特価』なる二重価格を堂々と載せていました。赤道儀もヒドい造りでしたねえ…。

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パノップの広告を見れば、針金細工みたいな赤道儀に載った、トップヘビーな望遠鏡のオンパレード。マトモに見えたとは到底思えませんね。

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海外輸出が主だったと思われるサテライト望遠鏡(山本製作所)。気になる存在でしたが、いまだに実物を拝んだことがありません。

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巻末近くに毎号載っていた清原光学。カセグレンを『カスグラン』と表記、これはアマチュア向けではないなと、当時思ったものです。隣りにはコダックの103aを販売していたフジ見商会の広告、私が103a-Eを初めて買ったのはここでしたっけ。

この頃、私がとにかく欲しかったのは、高橋製作所のTS式65ミリ屈折赤道儀D型でした。でも中学生には高嶺の花で、とにかく各メーカーのカタログを集め、いろんな情報を集めてばかり。結果、この時代の望遠鏡の知識だけは異常に付いてしまったのでした(笑)。

スカイウォッチャー創刊号

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と言うわけで、いつまで続くこのシリーズ。

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学生時代、突如創刊された新しい月刊天文誌『スカイウォッチャー』、表紙をめくっていきなりぶっ飛びました。

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佐藤蛾次郎さんが、ビクセンの10センチ反経(オズマR-100)と70ミリ双眼鏡と共に登場していたのですが、意味不明なクロスフィルター(笑)。中の天体写真は裏焼きに上下逆、広告にはなぜか学習机や背が伸びるっていう怪しいヤツとか・・・。

こりゃ3号雑誌(3号で廃刊になる本)だな、なんて思ったら、その後はフォトコンにどんどん実力者が集まり、仲間内では良い作品が撮れると「こりゃ、ウォッチャーもんだね」というのが合言葉になったくらいでした。

それに合わせ、広告も望遠鏡販売店やメーカーのものに変わりました。某編集長時代の天文ガイドからBORGと笠井トレーディングが撤退、こちらと月刊天文にしか広告を載せなくなったなんて事もありましたねえ。

80年代に入りますと・・・

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天文熱がぐっと下がってしまった時期でもあるのですが、80年代半ばからは天文ガイドは『とりあえず買うだけ』という、半ば使命感のみで流れた時期でした。

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学生時代にミザールのAR赤道儀一式を仲間と買って以降、就職してからは機材を揃えるわけでもなく、だらだらと過ごした10年でしたね・・・。

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高橋製作所はタカハシとなり、赤道儀がシステム化されました。その後J~JP~NJPと進む16センチ用赤道儀、欲しかったなあ。そしてベストセラーとなるシステム90赤道儀(90S)、それまでの高橋のデザインと大きく変わったせいか、発売当初はあまり評価が高くなかった気がします。

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GOTOは『スーパー』が取れたアポクロマートと、なぜかセミ・アポクロマートを発売。架台はMARK-X全盛でしたね。

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PENTAXが、本格的にハイアマチュア向け天体望遠鏡に進出して来たのもこの頃です。架台はまだMSシリーズになる前の、イマイチ垢ぬけないデザインでした。クランプに手が届かず、冨田弘一郎先生から「設計者は、実際に天体観測をして欲しい」なんて苦言を呈されていました。

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ミザールに吸収合併される前のエイコー。70年代全国に販売拠点を展開していた、実に元気あるメーカーでしたが・・・。どうやれば構図が決められるのかわからなかった、バランスウエイト軸に取り付けられていたカメラ雲台が、ようやく『使える』位置に移動して来ました(笑)。

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御三家は相変わらず。ダウエルの強気はいよいよ磨きがかかり(笑)、『当社の接眼鏡は、専門家も優秀だと称賛しています』だそうです。

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私が自作した10センチニュートンの主鏡はNTK製でした。当時は日本特殊光機と言いましたが、その後社長の名前をとり中村特殊光機となりました。安かったですが、精度の高い良い鏡でした。

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なぜか巻末に載っていたのが『ハムになろう』(笑)。当時の子供たちには、アマチュア無線やBCLなどもメジャーな趣味だったという事でしょう。

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80年代後半、突然現れたヨシカワ光器。鏡筒内面に施された静電植毛による艶消し黒塗装は、コントラストが高く素晴らしい効果でした。知人が20センチF8の木辺鏡をヨシカワでニュートン反射に組み上げたのですが、まるで屈折鏡のような像質でした。

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NTKと同様、わりと廉価な価格設定でしたが足立光学レンズ製作所のミラーも評価が高かったようですね。抛物面という文字、マニアック!(笑)

この頃まででしょうか、それぞれの製品が輝いていた時代は・・・。90年代に入ると、なぜか新製品が輝いているようには見えなくなり、私は中古でP2赤道儀を購入する事になります。

更にあきれて物も言えない

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安倍総理に近い議員たちの勉強会、『文化芸術懇話会』(見たところ、文化や芸術からいちばん遠くにいそうな人たちばかりみたいですけど)で、信じられませんがこんな発言が。

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もはや、何をか言わんや・・・。

百田尚樹氏は、沖縄県の地元新聞2社を「つぶさなくてはならない」とも発言したとか。出席していた複数の議員が話しているようなので、たぶん本当にそう言ったんでしょうね。まあ東京都知事選の時、田母神候補の応援演説に立った時、他の候補者を「人間のクズ」と宣った御仁ですからね。さもありなんと思ったのは私ばかりではないでしょう。ご自身のツイッターでは、「ギャグで言ったのを、壁の外から盗み聞ぎされた」と逃げの一手のようですが、よくまあこんな言葉の軽い『作家』にNHKの経営委員を委嘱されたものですね。

この勉強会に参加した国会議員の皆さんが目指すのは、もしかして『大政翼賛会』設立ですか?治安維持法発令ですか?国家総動員法発令ですか?

憲法第21条
第1項
集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する
第2項
検閲は、これをしてはならない

いやいや、身内の勉強会での発言ですから云々、そんな言い逃れが通用しますか?仮にも国会議員でしょう?自らの口から発した言葉には、全て責任を持って頂かなくてはなりませんね。

もう一点、注目しておかなくてはならない事が。
同日、宏池会系の議員を中心とした勉強会が、官邸周辺からの圧力で中止されていたという事です。つまり、同じ政党内でも、現政権に批判的な意見などが出せないよう圧力をかけているという事です。マトモじゃないですね、既に。

このブログ、政治と家庭の事は書かないブログにしようと思っていたんですけどねぇ・・・。眼を開き、耳をしっかりと傾けて、政治の動きを注視していかないと、「あの時が後戻り出来ないターニング・ポイントだった」と、後世の歴史家が記述するような事態を迎える時が近づいている気がしますよ。

沖縄タイムスと琉球新報が共同の抗議声明を出しています。ご一読下さい。

お蔵入りから復活??

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もう20年近くも前になるのですが、タカハシ90S赤道儀を一時使っていた事があります。
ニコンの65ミリ用赤道儀のモータードライブを直付けし、脚部は剛性が評判だった前橋至誠堂製の鉄製ピラー仕様でした。その頃、メーカー関係者から借りていたMT-160を載せても、強度に全く不安を感じませんでした。

そんな時、少し長めの焦点距離のレンズで、星雲星団を撮影したいと考え、400ミリクラスの望遠レンズを探していました。当時使っていたカメラボディはニコンとペンタックス。SMCタクマーの400ミリF5.6辺りの安い中古を…と考えていたのですが、MFレンズがいよいよ製造休止に向かう時期で、トキナーのSL400ミリF5.6SDが激安で販売されていることを知りました。当時、トキナーは現在まで続くAT-Xシリーズ(AF)に製品の主力が移行中で、このSLはマニュアルフォーカスだった事もあり、最後は投げ売りに近い価格になったと思います。中野のフジヤカメラで購入したんですが、いくらくらいだったのか、すっかり忘れてしまいました。

SDと書かれている通り、「一応」SDガラスを後群レンズに1枚使用というスペックになっていました。同時期のAT-Xは前玉レンズ2枚のうち1枚がSDガラスだったのに比べれば、まあ画質もさほどのものではないだろうことは想像出来ましたが。

いざ試写してみると、周辺部に大きなコマ収差が出る上、周辺光量も不足気味、さらに言えば色収差の補正もSDガラス使用とは思えない程度のものでした。

結局2~3回使っただけでお蔵入りとなり、以降一度も使用しないままでした。

例年この時期恒例の、吸湿剤と防カビ剤交換のため、自宅納戸の棚をひっくり返していたら、ふと白い箱が目に留まりました。

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あー、そういえばこんなレンズも持っていたんだと、元箱そのままの状態のレンズを奥から引っ張り出し、内部を確認。特にカビもホコリの混入もなく、ソフトケースも含め新品同様のレンズが現れました!

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早速、当時の相棒だったPENTAX MXも引っ張り出し、動作確認をしてみました。

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若干ピントリングのグリス切れを感じますが、通常使用には全く問題がなさそうです。さらに、現在私が使っているデジイチは撮像素子がAPS-Cサイズ、ひょっとして像質が悪化する周辺部を除けるので、もしかするとそこそこ使えるかも?収差による星像の肥大も、見ようによってはソフトフィルターを使わずに輝星を目立たせて見栄えを良くする効果になりゃあしないか?なんて(笑)。

んで結局、PENTAX Kマウント→EFマウント変換アダプターを購入、使ってみる事にしました。

でもたぶん、皆さんのご想像通り、また1回使って「だめだこりゃ!」のお蔵入りへ…という気がしてならないのですけど(笑)。

梅雨の中休みに・・・

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撮って出し(処理無し縮小のみ)の夕景です。

日中、あれほど暑かったのに、日が沈むと半袖ではいられないくらいの気温に。信州は寒暖の差が大きいのですが、今夜はそれにしても肌寒い感じです。

夕方になっても晴れ間が広がっていたので、夕食後、とりあえず土星の観望だけでもしようとドームに潜り込みました。まずは月面を…、うわ!なんじゃこりゃ?真冬以上にシーイングが悪い!ユラユラの振幅が大きく、落ち着く瞬間も全くありません!

とりあえず西空に集合している金星と木星のランデブーを撮影。

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2015年6月28日20:01 EOS Kiss X3+EF-S18-55mm(50mm F5.6) ISO400 4秒露出

この後、土星を覗いてみましたが、もうムチャクチャなシーイングであんぐり。撮像は早々に諦め、月の全景写真くらい撮っておこうと準備。10枚3セットを撮影して終了です。

早速処理してみましたが、とても掲載できるような画像にはなりませんでした。残念無念であります。

1年経ちました

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昨年7月1日、ほぼ17年ぶり2度目の諏訪勤務がスタート、今日でちょうど丸1年になりました。

これで足掛け10年を超える諏訪生活になります。故郷上田に次いでの長さ、もはや諏訪も私にとっては我が住処という感じです。

ただ、前の諏訪勤務の時のように、平日でも構わず赤道儀を車に積んで、原村や富士見町に出掛けていたような元気は、さすがにもうありません。やはり歳にはかなわないという事を痛感しています。

以前諏訪にいた頃は、ヘールボップ彗星や百武彗星など、肉眼彗星が立て続けに現れ、それこそ毎晩寝不足が続いたものでした。あれ以来、なかなか明るい彗星が現れませんね。オールトの雲もネタ切れでしょうか?(笑)

単身赴任生活も、なんだか気楽に思えるようになってきてしまい、こりゃあいかんなと、ちょっと反省する日々です。まあ、若い頃のように、毎晩日付変更線を跨いで飲み歩く事もありませんし、まあまあ健康的に過ごしていると自分では思っています。しかし、昨夏に熱中症から体調を大きく崩し、しばらく不調が続いた事も忘れないようにしなければいけませんね。

梅雨の真っただ中、次の新月期辺りも天気はあまり期待できそうにありませんが、ちょっと面白い機材(パーツ)も揃った事ですし、原村辺りまでさくっと出掛けて星野写真でも撮りたいなあなんて思ってはいます。

会社の全体では大きな人事異動があり、今日あたりは各部署でドタバタ大変だったようですが、諏訪は全く何も変わらず、ここ数年、自分のポジションが毎年のように変わっていた事が逆に懐かしく思えると言う、変な余裕を感じた1日でした。

昨夜は変な時間に目が覚めた結果、殆ど熟睡しないまま朝を迎えてしまった事もあり、今日は早く床に就く事にします。

あー、なんだか普通の日記みたいな内容でしたね。まさにウェブログ、でしょうか(笑)。

これは困った

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明日、諏訪で仕事のため、この週末は自宅に戻りませんでした。

昨夜はなんとなくYouTube巡りをして、けっこう夜更かしをしてしまい、今朝は8:30を過ぎて起床。朝食後、洗濯を済ませ、さて続きのYouTube巡りをとパソコンを立ち上げると、ネットに接続出来ません?

スマホのWi-Fiもダメ、あーこりゃ無線LAN親機の不調か?と、一旦電源を落として立ち上げてみたりしたものの復旧せず。とりあえず買い物に出掛け、午後から再度トライ。フレッツの関係でNTTに連絡したり、無線LAN親機のメーカーに連絡したりして再起動してみたものの、やはりダメ。ほとほと疲れ果て、復旧は諦めました。

明日にでも新しい無線LANの装置を買いに行く事にして、早々に晩酌スタート(^^;;

ネットを見ないと、時間の経過がゆっくりですね!(笑)もう寝ちゃおうかな(爆!)

PENTAX-Kマウント‐EFマウントアダプター

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昨日、突如襲ったWi-Fi不調、一晩経ったら何故か復旧?いったいなんだったのでしょう??まあ、とりあえずは元に戻ってくれたので良かったのですが。

 

さて、元々天体写真はアサヒペンタックスで始めた私(その前にヤシカが少々ありました)、その後ニコンに主力が移っていきましたが、基本的にはレンズは手放さずに手元に置いていました。カメラボディのいくつかは手放しましたけど(ニコンFG20、ニコマートFTN、ビクセンVX1などなど)ね。

 

ニコンFマウントからEFマウントへの変換アダプターは、以前から使用していましたが、Fマウントの径の小ささやフランジバックの長さから、全く違和感なくEOSボディにニッコールレンズが装着出来、なかなか使い勝手もいい物です。

 

それに比べ、ペンタックスのKマウントは、マウント径が大きい上にフランジバックもEFマウントに近く、どのように装着するのだろう?と疑問に思っていたのですが。

 

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なるほどこういう作戦があったのですね。レンズ固定位置を固定爪の幅分だけボディ向かって時計回りにズラして固定ですわけです。同じ3本爪のバヨネット、かつ取り付け方向も同じですから、こうするほか無限遠を出す位置にセットは不能だったのでしょう。

 

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少々カッコ悪いですが、まあこのように無事トキナー400ミリをEOSに取り付け出来ました。

 

銀塩時代、私が最も描写がシャープで、周辺部までシュミットカメラのように点像を結ぶと感じていたSMCペンタックス28ミリF3.5も、これでまた活躍の場が出来るかも知れません。

ようやく甲信越でも

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私がまだ小学生の頃、インスタント・ラーメンなどは『身体に悪い』と言って、子供に食べさせない親がけっこういました。コーラも同様、炭酸飲料を高校生になるまで飲んだ事が無かったという知人もいたくらいです。

我が家はそうではありませんでした。両親が共働きだった事も理由でしょうが、小さい頃からインスタント食品を気にせず食べていました。カップラーメンも、ずいぶん早い時期から食べていましたね。案外日清のカップヌードルは近くの店には置かれておらず、明星食品や東洋水産、お隣の群馬県の赤城食品のものが多かったです。理由はわかりませんが、日清さんはあまり長野県を重点地区と考えていなかったのかも知れませんね(理由は不明ですよ、あくまでも)。

カップ焼きそばと言ったら、これはもうぺヤングソース焼きそばでした。テレビCMもずいぶん流れていましたし、お店に置いてあったのもペヤングばかりでした。ペヤングのメーカー、まるか食品も群馬県、近所だったからかどうかわかりませんが、とにかく発売当初から良く食べましたね。

そのペヤングソース焼きそばが、例の事件で製造を休止してしまった時、友人など買い置きの焼きそばを賞味期限が切れても温存、2か月過ぎて仕方なく食べたと言っていました。

先月、首都圏を皮切りに、ペヤングソース焼きそばの発売が再開!当初の予定では7月2日から長野県でも発売再開予定だったのですが、想定外の売れ行きで製造が追い付かず、数日発売が延期されていました。

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で、ようやく長野でも発売が再開されました。たまらず昼前に事務所近くのコンビニに出撃、早速買って戻りました。製造工程の安全をより追求した結果だと思われますが、以前のようにプラスチック蓋を取り外してお湯を入れる形ではなく、良くあるスチロール製容器の上に紙製の蓋が付き、お湯は紙蓋の一部を剥いで入れるタイプに、湯切りも蓋の爪を広げて切るのではなく、紙蓋の一部が二重になり、二重部分を剥ぐと湯切り口が現れるタイプになりました。

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味は昔のままですね。乾燥紅ショウガ、白ゴマ、青のりの薬味はそのまま。スパイスと書かれた白胡椒もあのままでした。

いやぁ、久々に食べて嬉しかったです。ずいぶんささやかな話ですけど。

年貢の納め時

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私を私と知っておられる方(意味が良くわからない?)、まずはご心配なく。

私は若い頃から胆嚢に砂が溜まっていて、疲れたり体力が落ちたりすると炎症を起こし、これがめちゃくちゃ痛いというのを繰り返して来ました。人間ドックでも、毎回『要経過観察』に。しかし、全く症状が出ないで数年間なんて時もあり、どうすればいいのだろうと思っていたのです。

ところが今回はちょっと様子が違います。一昨日からは極めて不調となり、痛みが途切れません。今朝はついに我慢できず、評判の良いクリニックに行きました。

超音波エコーで観察した先生が、即「紹介状を書くから、総合病院ですぐ手術してもらって下さい」と言うのです。「え?手術ですか?この2月に人間ドックで『胆石はあるけど、まあ放っておいて大丈夫でしょう』って言われたばかりなんですが」と言うと、「そんな判断にはならないよ、この状況では絶対に。おかしいなあ」と先生は言われます。「このまま放っておいたら大変な事にならないとも限らないから、とにかく日赤へ」と言う事で、その足で総合病院へ。

紹介状の威力は素晴らしく、即処置室に通され、まず点滴を始めます。これは後でCTなどの際に造影剤を入れたりするのに使うためで、まずは水分補給だけですが。

担当の消化器内科の先生が見えて、「ひょっとすると、今日このまま手術になるかも知れませんよ」「え?いきなりですか?しかし何の準備も無いし、単身赴任な上に仕事も1人なので、いきなり入院となると困るんですけど」と、私が言うと、「とにかく精密検査しましょう」と。

結局造影剤を変えてCTスキャンを2回、胸部のレントゲンを1回撮影、終わったのはもう14時を回っていました。「今のところの予定ですが、明日、外科の先生と症状の確認を行い、来週には手術をする事になると思います。いわゆる内視鏡手術の方法を取ります」と説明を受け、これはもうまな板の上に乗るほかないと観念しました。40年近く悩まされてきた痛みを、これで感じなくなるのだからと前向きに考えます。

さすがに手術は未経験(昨夏、熱中症で入院は経験しましたが)ですし、不安が無いわけではありませんが・・・。とにかく、まあ落ち着いて気楽に考えるしかないですね・・・。

『反省』とは・・・

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いよいよ週明けには入院、手術となります。
昨日、病院で説明を受け、入院前の準備なども始めました。

しかし・・・
このブログを読み返してみれば、なるべくしてなったとハッキリわかりますね(爆)
食べているものと言ったら、ハイカロリーな食事ばかり。しかし、胆石というのは、アルコールを良く飲む人はなり難いという説もあり、そうなると「ああ、15歳くらいから飲んでいれば良かったのかも」なんて馬鹿な事を考えてみたり(笑)

たまたま従弟に電話をしたら、なんと彼は先月同じ手術を受けたばかりでした。「あれは早くやっちゃったほうが楽だ」と彼も言います。術後4日で退院出来たとも聞きました。私の場合は、たぶん病院の方針もあり、もう少し長くなるようですが、それでもトータル1週間程度。骨休め?いやいや、休み明けの仕事の滞留が怖くて気が休まりそうにありません。

今日明日で仕事の段取りをしっかりつけ、何とか平穏な気持ちで入院出来ればと思っています。

準備完了

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明日の入院を前に、病院からもらって来た『入院のご案内』を見ながら持ち物をまとめました。

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まあ実質6日間の入院ですから、そんなに荷物は多くありません。このバッグ1個の他は、ラジオくらいなものですかね。

これを持って行こうか?とも思いましたが、いらないですよね、やっぱり(笑)

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さて、今夜は早めに休んで、明日に備えようと思います。この10日間、とにかく腹いっぱいに食べない事、油ものも食べない、酒も飲まないで過ごしてきましたが、なんとこれだけで痩せるものですね!ベルト穴1個分くらい腹周りが細くなりました。たぶん2キロくらい落ちているのでは?と思われます。

これでしばらく酒も飲めませんし、たぶん20歳以降、人生で最もアルコールを抜く期間が長くなると思われます。そのせいか、今朝はビアガーデンでビールを飲む夢を見ました(爆!)

友人から、リハビリのつもりでブログ記事をどんどんアップしてとのメールをもらいました。さすがに手術中の写真を看護師さんにお願いも出来ませんので(あたり前)、入院生活の記事を暇にまかせてアップさせて頂こうと思っています。

窓からの景色

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今朝、予定通りに入院しました。
手術前日には特にやる事もなく、身長体重を計り、それぞれ担当の看護師さんと挨拶し、この後はお風呂に入らせてもらいます。

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窓からは諏訪湖が一望出来、実に眺めが良いです。花火大会の日だったら最高でしたね(笑)

仕事の関係では、あまり入院をオープンにはしたくなかったのですが、ご迷惑をお掛けする事になる方もいらっしゃるため、関係者から事前にチラッと状況を伝えてもらったお取引先ご担当から、なんとお見舞いカードが届きました。ありがとうございます!

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とにかくまず、明日を頑張って乗り切りたいと思います。
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