先週、1969年製のTS式65ミリ屈折赤道儀の日光浴をしました。今週はこのブログにも何度か登場している、私との付き合いが最も長い、TS式80ミリ屈折赤道儀を日光浴させました。
1977年製、私が高校入学の年の5月、亡き親父と一緒に板橋の高橋製作所に行って注文した望遠鏡です。当時は都営地下鉄6号線と言っていた都営三田線の板橋本町から地図を頼りに向かった高橋製作所本社は、木造のずいぶん小さな町工場でした。
木の階段を2階に上がると、当時の主力製品の何台かが事務所の一角に並べられてあった以外は、本当に町工場の事務所という感じでした。その時応対にあたってくれたのが、今は無きアトムの社長になった平井さんであった事は、ずいぶん後になって知った事でした。
以来38年、HD-2モーターのコントローラーの故障が1回あっただけで、今も全く問題なく使える状態です。
長年設置していたコンクリート製の望遠鏡設置スペースにピラーを置き、だいたいの目安で赤道儀を北に向けて設置しました。慣れと言うのは凄いですね!30分ほど自動で太陽を追尾しましたが、殆ど赤緯方向のズレはありませんでした。
5月に注文して製造番号は43、まあ販売台数なんてこんなものだったのでしょうね。
レンズは何度か結露や凍結をさせてしまった事がありますが、クモリやカビは全くなし!これは自慢できます。
とりあえず太陽に向けて日光浴です。アイピースを自宅から持って行くのを忘れてしまい、実家に置いてあった五藤光学製H-30ミリで手に投影(笑)。15センチの太陽投影板もあるのですが、まあ日光浴が主たる目的でしたので取り付けませんでした。
当時、木製の直脚と軽合金製ピラーいずれかの脚が選べましたが、私の選んだピラーは振動の収まりが悪く、いずれ鉄製パイプに換装しようと思いつつ38年が経過してしまいました(笑)。
モーターボックスの中のギヤの音が少し大きくなりましたが、逆に作動が確認できて安心です。あと2年で40年、半世紀くらいは問題なく動いてくれそうです。
1977年製、私が高校入学の年の5月、亡き親父と一緒に板橋の高橋製作所に行って注文した望遠鏡です。当時は都営地下鉄6号線と言っていた都営三田線の板橋本町から地図を頼りに向かった高橋製作所本社は、木造のずいぶん小さな町工場でした。
木の階段を2階に上がると、当時の主力製品の何台かが事務所の一角に並べられてあった以外は、本当に町工場の事務所という感じでした。その時応対にあたってくれたのが、今は無きアトムの社長になった平井さんであった事は、ずいぶん後になって知った事でした。
以来38年、HD-2モーターのコントローラーの故障が1回あっただけで、今も全く問題なく使える状態です。
長年設置していたコンクリート製の望遠鏡設置スペースにピラーを置き、だいたいの目安で赤道儀を北に向けて設置しました。慣れと言うのは凄いですね!30分ほど自動で太陽を追尾しましたが、殆ど赤緯方向のズレはありませんでした。
5月に注文して製造番号は43、まあ販売台数なんてこんなものだったのでしょうね。
レンズは何度か結露や凍結をさせてしまった事がありますが、クモリやカビは全くなし!これは自慢できます。
とりあえず太陽に向けて日光浴です。アイピースを自宅から持って行くのを忘れてしまい、実家に置いてあった五藤光学製H-30ミリで手に投影(笑)。15センチの太陽投影板もあるのですが、まあ日光浴が主たる目的でしたので取り付けませんでした。
当時、木製の直脚と軽合金製ピラーいずれかの脚が選べましたが、私の選んだピラーは振動の収まりが悪く、いずれ鉄製パイプに換装しようと思いつつ38年が経過してしまいました(笑)。
モーターボックスの中のギヤの音が少し大きくなりましたが、逆に作動が確認できて安心です。あと2年で40年、半世紀くらいは問題なく動いてくれそうです。